2012年 8月6日
ヒロシマ、67回目の夏です。
私が毎日楽しみにしている 糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」に
8月6日に言及した記事がありました。
(以下抜粋)
・昨日の夜、ぼくはツイッターにこんなことを書きました。
<明日は、広島に原爆が落とされた日だ。
ぼくは今年になって
『原爆市長』という本のことを知って読んだ。
広島の復活が奇跡でもなんでもなく、
ひとりひとりの人たちの献身と勇気の
結果だったとよくわかる。
そのとき草一本生えないと言われた広島は、
後に東北に牡蠣の種を送ってくれた広島なんだ。>
何十年先になっても、草木一本生えないと言われた地の、
その場所で、人を助けるために、
じぶんたちが生きるために、
たくさんの人々が奔走し、計画していたことが、
そのまま書いてありました。
広島の原爆は、市街地の中心に落とされたもので、
当時住んでいた人数の半分近い
14万人以上の人が亡くなり、
建物の90%が焼失破壊されたという調査があります。
日本中が、大きな傷を負っているような状況でしたから、
広島と、その直後に原爆を落とされた長崎とを、
国として支援したりすることも、
ほとんど敵わなかったことでしょう。
そこで、復興に向けて動き出した人たちがいたことが、
「他にどんな道があった」と言わんばかりに、
あたりまえのように記されているということが、
この本を読みはじめてすぐに感じたことでした。
「当事者」というのは、そういうものなのだと、
いまの震災後の人たちの心持ちと重ねて想像しました。
広島の悲惨について、怒りについて書かれたものは、
たくさん出回っていたように思います。
しかし「生きようとしていた」人たちの動きについて、
知ることが少なかったなぁと、いまさら思いました。
8月6日、その日から、その地で、遺体を運びはじめた人、
乏しい医療の手配をしようとしていた人、
食料の確保に走り回っていた人がいたんですよね。
光の射す方向に向いていた人たちの子どもたち孫たちが、
いまの広島で笑ったり歌ったりしている‥‥。
ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」より。
この「原爆市長」Amazonでは残念ながら在庫切れでしたが
必ず手に入れて読もうと思います。
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